2015年1月24日土曜日

Stirling Castle その1


Stirling Castleに来ました。その城は三方を断崖に囲まれたCastle Hillにあり、はるか昔からなんらかの砦があったと言われています。

駐車場から見たStirling Castleです。一番手前に見える城壁を含む一角はOuter Defenceと呼ばれ、1708年のジャコバイト蜂起後に、防御力を増強する目的で増築された部分です。中央には城門があり、見えませんがその手前には堀があり、門をくぐるには橋を渡らなければいけません。その向こうの古い建物がRoyal Palace、その右の明るい肌色の建物は最近修復されたGreat Hallです。

歴史に初めてStirling Castleの名が現れたのは12世紀の始めで、アレクサンダー1世が礼拝堂を作ったと記録されています。アレクサンダー1世が1124年に亡くなり、その後継者デヴィッド1世の治世下、スターリングは王都となり、城はスコットランドの政治の中心になりました。

しかし、1286年にアレクサンダー3世が死去すると後継者問題が持ち上がり、イングランド王エドワード1世が3回にわたりスコットランドに攻め入り、Stirling Castleは、ときにはスコットランド軍が立てこもり、ときにはイングランド軍が立てこもって攻城戦の舞台となりました。


スターリング城の門前にあるロバート・ザ・ブルースの象です。1306年にスコットランド王として即位、エドワード1世の死後、バノックバーンで勝利し、イングランド軍をスコットランドから追い出した人です。行った日は台座の修理中でした。

そのロバート・ザ・ブルースは1299年にStirling Castleを包囲し、イングランド軍から城を奪還したのですが、どうせまたイングランド軍が立てこもるに違いないと思ったのか、1314年には防壁の破壊を命じています。

ところが、ロバート・ザ・ブルースの死後の1333年には再びイングランド軍はやって来て、破壊された防壁を、おもに材木で修繕して立てこもり、スコットランド軍と対峙しました。なんと言っても、軍事的には重要な拠点だったのです。

1347年にのちのロバート2世、ウォルター・スチュワートが城を取り返すと、Stirling Castleは再び王都としての機能を取り戻し始めます。


 

最初の城門をくぐるとチケット売り場兼ショップの建物があります。

現在、Stirling CastleはHistoric Scotlandが管理しています。


チケットを買って入ってもいいんですが、Explorer Passという観光客用の割引券があり、23.2ポンドで3日間、エジンバラ城などを含むHistoric Scotlandの施設に入り放題というのもあります。

ヘッドホンで解説を聴けるオーディオガイドがあり、6ヶ国語が用意されています。日本語があるのが嬉しい。場内の案内板に番号があり、その番号を入力すると、そのエリアの説明が流れるようになっており、これがあると、内部見学は非常に楽しく、有意義なものになります。


Stirling Castle公式のプロモーデョンビデオです。公式ホームページでも見られます。中世の衣装をまとった人たちが出てきますが、実際に城内にはそれらの衣装を身に着けた人たちが居て、一緒に写真を撮ったり、質問に答えてもらうことが出来ます。

Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ

 

0 件のコメント:

コメントを投稿