The Palaceの北の向かい側、The King's Old BuildingとThe Grea Hallの北の端に挟まれて立つThe Chapel Royalです。1594年にジェームズ6世がヘンリー王子の洗礼を行うため、7ヶ月弱で建てたといわれています。
ジェームズ6世はメアリー・スチュアートの長男で、メアリーの廃位により、1歳1ヶ月で王位に就いた人です。
この場所にはジェームズ6世の母親、メアリー・スチュアートが1543年に戴冠し、ジェームズ6世自身も洗礼を受けた古いチャペルが建っていたのですが、傷みが激しく、雨漏りもあり、建て直しが行われたようです。1560年にスコットランドはプロテスタント国家となり、このチャペルはスコットランド最初のプロテスタントのチャペルとなりました。
1603年にイングランドのエリザベス1世が死去し、ジェームズ6世はイングランド王を兼務するためStirling Castleを離れロンドンで国政を司ることになります。エリザベス1世に子がなく、ジェームズ6世の両親ともにイングランド王家の血筋を引いていたためです。エリザベス1世が判決を下して断頭台に送られたメアリー・スチュアートの息子が、彼女の後をついでイングランド王になるとは不思議な運命です。
ジェームズ6世はロンドンでの生活が気に入って、その後スコットランドへは1回しか戻っていません。ちなみに、ジェームズ6世はハノーファー朝の最初の王、ジョージ1世の祖父に当たります。
ジェームズ6世の後はヘンリー王子が継ぐはずでしたが、18歳でこの世を去り、1625年にジェームズ6世が亡くなると、次男のチャールズがチャールズ1世として即位しました。チャールズ1世はボニー・プリンス・チャーリーの曽祖父に当たる人です。
1633年にはチャールズ1世の戴冠式のため、Valentine Jenkinが壁面に、絵画による装飾を施しました。
The Great Hallとおなじく、軍隊が2階建てに改装、1階は食堂と訓練場に、2階は倉庫に使われ、その状態は20世紀初頭まで続きました。
1930年代に復元作業が始まり、2階の床が外され、チャールズ1世の頃の状態に戻ったのは1996年のことです。
Valentine Jenkinによる壁面装飾は残っており、窓にはだまし絵の手法が使われています。
チャールズ1世の戴冠後、時代は一気に清教徒革命、スコットランド革命へと流れてゆきます。
Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ
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