2015年3月1日日曜日

Stone of Destiny


Stone of Destiny(運命の石)とは紀元500年ごろ、スコットランドの元となるスコット族がアイルランドから持ち込んだ石で、始めはArgyllにありましたが、9世紀中頃からはScone Abbeyで守られていました。Scone Abbeyにあったので、Stone of Scone(スクーンの石)、スコットランドの歴代の王が戴冠に用いたので、The Coronation Stone(戴冠の石)とも呼ばれます。

石は270ミリx425ミリメートルx660ミリ、重さは260キロで金属製の輪が2つついています。旧約聖書のヤコブの枕石とも言われています。 創世記28章によれば、ヤコブはこの石を枕に眠り、夢の中で神から土地と子孫の繁栄と身の居安全を保障され、眼を覚ました後にこの石を記念碑としたと言われています。

スコットランド独立戦争のさなかの1296年、イングランド王エドワード1世は戦利品としてこの石をイングランドに持ち帰り、ウェストミンター寺院の戴冠の座に収めました。この後のイングランド王、さらに英国王はこの椅子に座って戴冠してきたのですが、1950年のクリスマスの数日前、グラスゴーの大学生4人によって石は持ち出され、一時的にですがスコットランドに戻されました。Stone of Destinyはその事件を描いた映画です。


 4人の大学生は2台の車でグラスゴーを出発、18時間かけてロンドンにたどり着き、守衛の夜回りの時間を調べてのち、一人を車に残し、3人が闇夜に紛れて寺院に侵入、椅子を壊して石を取り出しました。この際、石は床に落ちて2つに割れてしまいました。そして、まず小さい方が車のトランクに納められ、大きいほうはさすがに重く、コートに包まれ引きずってもう一台の車に運ばれました。そして、それぞれの石はまずイングランドに隠されました。石が無くなっている事を受け、イングランドとスコットランドの境界線は封鎖されました。


2週間後に封鎖が解かれ、石はついにスコットランドに持ち込まれ、石工のBaillie Robert Grayが雇われ、石の修復が行われました。この際、Grayは一枚の紙の入った真鍮管を入れたのですが、この紙に何が書かれているのか、今日に至るまで分かっていません。

その後警察に情報があり、石はArbroath Abbeyで発見され、大学生4人が事情聴取されましたが、起訴されないことになりました。彼らは石をスコットランドに取り戻し、スコットランドの自治権拡大とアイデンティティの覚醒をしたいと考えていました。スコットランドでは、彼らは英雄視されることになりました。

映画は史実にドラマ性を上手に取り込み、感動的な仕上がりとなっています。映画の手法は非常にクラシックですが、丁寧な筋運びで無理がなく、石が盗まれた後の物語の盛り上がりがとても良いです。


The Stone of Destinyは1996年に公式にスコットランドに返還され、現在はエジンバラ城にあります。


Westminster Abbey
Deans Yd
London
SW1P 3PA

2015年2月26日木曜日

Scone Palace その2


Scone Palaceで飼われている孔雀です。放し飼いになっており、宮殿横の芝生の上を歩いていました。


Scone Palaceに限らず、孔雀を放し飼いにしているのを何度か見たことがあります。こうした観光関連の施設だけでなく、個人宅でも飼っていて、白孔雀というのもいました。逃げたりしないのか、と思ったら、某蒸留所の敷地から逃げ出して、町の個人宅の庭で発見されたこともあります。


Scone Palaceに近いMoot Hillにあるチャペルです。12世紀から400年にわたって繁栄したアウグスティヌス派の修道院がここにあったと考えられており、Stone of Sconeが守られていました。その石はダルリアダ王Fergus Mòr Mac Earcaがアイルランドからもたらしたもので、旧約聖書の創世記にあるヤコブの枕石とも言われています。

歴代のスコットランド王が戴冠に使いましたが、1296年にエドワード1世がイングランドに持ち去り、1996年までウェストミンスター寺院の戴冠の座に収められていました。現在はエジンバラ城にあります。


Scone Palaceには複製品がすえられています。


Stone of Sconeは1950年に一度盗み出され、スコットランドに戻ったことがあります。グラスゴーの学生4人が夜のウェストミンスターに忍び込み、椅子から石を外し、スコットランドに持ち帰ったのです。結局、石は取り戻され、学生4人の告発は見送られましたが、不思議なのは、4人の学生のうちのひとりは、スコットランドからStone of Sconeをイングランドに持ち去った、エドワード1世の子孫だったことです。盗み出した時点で、彼はそのことを知らなかったそうです。

Perth PH2 6BD


2015年2月24日火曜日

Scone Palace その1


Scone Palaceはパースの街の北にあるマンスフィールド伯爵家の宮殿です。広大な敷地に忽然と立つネオゴシック様式の建物で、赤色砂岩で造られ、外観は落ち着いた褐色を帯びています。

もとはマンスフィールド伯爵家が私邸として使用していましたが、1階内部は見学が可能、宿泊、食事、結婚式場を提供し、地下にはショップも、敷地内には釣りを楽しめる場所もあります。


入り口にある案内板です。見学者が立ち入ることが許されている範囲でも広大ですが、実際の領地はもっとずっと広いのではないかと思います。

宮殿周辺はもちろん、庭園や遊歩道も綺麗に管理されています。


この土地は12世紀から修道院の所領で、立派な司教館があり、スコットランドの重要な教会のひとつでしたが、1559年には宗教改革の煽りを受け、アバディーンから来た暴徒に破壊され、のちにRuthvenの領主が修復して屋敷として使用していました。

しかし、Ruthvenの一族も1600年にジェームズ6世に反逆罪で粛清され、SconeはDavid Murray, 1st Viscount of Stormontに与えられます。以来、現在に至るまでSconeはMurray一族の所領で、現在はWilliam Murray, 8th Earl of Mansfieldの個人所有です。

修復した司教館の建物は18世紀末まで使われていましたが、David William Murray, 3rd Earl of Mansfieldが増改築を行い、1808年に完成、現在の姿になりました。建築はWilliam Atkinsonが行いました。


残念ながら内部は写真撮影が出来ませんが、こちらで若干の写真が公開されています。上は宮殿入り口の待合室です。

Shop 

Scone Palace
Perth PH2 6BD

2015年2月4日水曜日

Stirling Castle その9


16世紀の城内の台所を再現したThe Great Kitchensの展示です。広々としたキッチンで宴会の準備の様子がリアルに描かれ、調理用ストーブには火が赤々と燃え、肉が焼かれ、皿に盛り付けをするさまを見ることが出来ます。


Nether Baileyにあるタペストリーに工房です。長年にわたってThe Palaceの壁面を飾るタペストリーを製作してきましたが、その作業は今も続き、その製作過程を間近で見ることが出来ます。


こちらは仕上がりを確認するための試作品、手にとってどのような織物か見ることが出来ます。非常に緻密で、硬質な織物です。


こちらは宮廷道化師の衣装を試してみることが出来るコーナー。大人サイズもあります。


Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ

 

2015年2月3日火曜日

Stirling Castle その8


The Palaceの北の向かい側、The King's Old BuildingとThe Grea Hallの北の端に挟まれて立つThe Chapel Royalです。1594年にジェームズ6世がヘンリー王子の洗礼を行うため、7ヶ月弱で建てたといわれています。

ジェームズ6世はメアリー・スチュアートの長男で、メアリーの廃位により、1歳1ヶ月で王位に就いた人です。

この場所にはジェームズ6世の母親、メアリー・スチュアートが1543年に戴冠し、ジェームズ6世自身も洗礼を受けた古いチャペルが建っていたのですが、傷みが激しく、雨漏りもあり、建て直しが行われたようです。1560年にスコットランドはプロテスタント国家となり、このチャペルはスコットランド最初のプロテスタントのチャペルとなりました。

1603年にイングランドのエリザベス1世が死去し、ジェームズ6世はイングランド王を兼務するためStirling Castleを離れロンドンで国政を司ることになります。エリザベス1世に子がなく、ジェームズ6世の両親ともにイングランド王家の血筋を引いていたためです。エリザベス1世が判決を下して断頭台に送られたメアリー・スチュアートの息子が、彼女の後をついでイングランド王になるとは不思議な運命です。

ジェームズ6世はロンドンでの生活が気に入って、その後スコットランドへは1回しか戻っていません。ちなみに、ジェームズ6世はハノーファー朝の最初の王、ジョージ1世の祖父に当たります。

ジェームズ6世の後はヘンリー王子が継ぐはずでしたが、18歳でこの世を去り、1625年にジェームズ6世が亡くなると、次男のチャールズがチャールズ1世として即位しました。チャールズ1世はボニー・プリンス・チャーリーの曽祖父に当たる人です。

1633年にはチャールズ1世の戴冠式のため、Valentine Jenkinが壁面に、絵画による装飾を施しました。


The Great Hallとおなじく、軍隊が2階建てに改装、1階は食堂と訓練場に、2階は倉庫に使われ、その状態は20世紀初頭まで続きました。

1930年代に復元作業が始まり、2階の床が外され、チャールズ1世の頃の状態に戻ったのは1996年のことです。


Valentine Jenkinによる壁面装飾は残っており、窓にはだまし絵の手法が使われています。

チャールズ1世の戴冠後、時代は一気に清教徒革命、スコットランド革命へと流れてゆきます。



Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ