2015年2月26日木曜日

Scone Palace その2


Scone Palaceで飼われている孔雀です。放し飼いになっており、宮殿横の芝生の上を歩いていました。


Scone Palaceに限らず、孔雀を放し飼いにしているのを何度か見たことがあります。こうした観光関連の施設だけでなく、個人宅でも飼っていて、白孔雀というのもいました。逃げたりしないのか、と思ったら、某蒸留所の敷地から逃げ出して、町の個人宅の庭で発見されたこともあります。


Scone Palaceに近いMoot Hillにあるチャペルです。12世紀から400年にわたって繁栄したアウグスティヌス派の修道院がここにあったと考えられており、Stone of Sconeが守られていました。その石はダルリアダ王Fergus Mòr Mac Earcaがアイルランドからもたらしたもので、旧約聖書の創世記にあるヤコブの枕石とも言われています。

歴代のスコットランド王が戴冠に使いましたが、1296年にエドワード1世がイングランドに持ち去り、1996年までウェストミンスター寺院の戴冠の座に収められていました。現在はエジンバラ城にあります。


Scone Palaceには複製品がすえられています。


Stone of Sconeは1950年に一度盗み出され、スコットランドに戻ったことがあります。グラスゴーの学生4人が夜のウェストミンスターに忍び込み、椅子から石を外し、スコットランドに持ち帰ったのです。結局、石は取り戻され、学生4人の告発は見送られましたが、不思議なのは、4人の学生のうちのひとりは、スコットランドからStone of Sconeをイングランドに持ち去った、エドワード1世の子孫だったことです。盗み出した時点で、彼はそのことを知らなかったそうです。

Perth PH2 6BD


2015年2月24日火曜日

Scone Palace その1


Scone Palaceはパースの街の北にあるマンスフィールド伯爵家の宮殿です。広大な敷地に忽然と立つネオゴシック様式の建物で、赤色砂岩で造られ、外観は落ち着いた褐色を帯びています。

もとはマンスフィールド伯爵家が私邸として使用していましたが、1階内部は見学が可能、宿泊、食事、結婚式場を提供し、地下にはショップも、敷地内には釣りを楽しめる場所もあります。


入り口にある案内板です。見学者が立ち入ることが許されている範囲でも広大ですが、実際の領地はもっとずっと広いのではないかと思います。

宮殿周辺はもちろん、庭園や遊歩道も綺麗に管理されています。


この土地は12世紀から修道院の所領で、立派な司教館があり、スコットランドの重要な教会のひとつでしたが、1559年には宗教改革の煽りを受け、アバディーンから来た暴徒に破壊され、のちにRuthvenの領主が修復して屋敷として使用していました。

しかし、Ruthvenの一族も1600年にジェームズ6世に反逆罪で粛清され、SconeはDavid Murray, 1st Viscount of Stormontに与えられます。以来、現在に至るまでSconeはMurray一族の所領で、現在はWilliam Murray, 8th Earl of Mansfieldの個人所有です。

修復した司教館の建物は18世紀末まで使われていましたが、David William Murray, 3rd Earl of Mansfieldが増改築を行い、1808年に完成、現在の姿になりました。建築はWilliam Atkinsonが行いました。


残念ながら内部は写真撮影が出来ませんが、こちらで若干の写真が公開されています。上は宮殿入り口の待合室です。

Shop 

Scone Palace
Perth PH2 6BD

2015年2月4日水曜日

Stirling Castle その9


16世紀の城内の台所を再現したThe Great Kitchensの展示です。広々としたキッチンで宴会の準備の様子がリアルに描かれ、調理用ストーブには火が赤々と燃え、肉が焼かれ、皿に盛り付けをするさまを見ることが出来ます。


Nether Baileyにあるタペストリーに工房です。長年にわたってThe Palaceの壁面を飾るタペストリーを製作してきましたが、その作業は今も続き、その製作過程を間近で見ることが出来ます。


こちらは仕上がりを確認するための試作品、手にとってどのような織物か見ることが出来ます。非常に緻密で、硬質な織物です。


こちらは宮廷道化師の衣装を試してみることが出来るコーナー。大人サイズもあります。


Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ

 

2015年2月3日火曜日

Stirling Castle その8


The Palaceの北の向かい側、The King's Old BuildingとThe Grea Hallの北の端に挟まれて立つThe Chapel Royalです。1594年にジェームズ6世ヘンリー王子の洗礼を行うため、7ヶ月弱で建てたといわれています。

ジェームズ6世はメアリー・スチュアートの長男で、メアリーの廃位により、1歳1ヶ月で王位に就いた人です。

この場所にはジェームズ6世の母親、メアリー・スチュアートが1543年に戴冠し、ジェームズ6世自身も洗礼を受けた古いチャペルが建っていたのですが、傷みが激しく、雨漏りもあり、建て直しが行われたようです。1560年にスコットランドはプロテスタント国家となり、このチャペルはスコットランド最初のプロテスタントのチャペルとなりました。

1603年にイングランドのエリザベス1世が死去し、ジェームズ6世はイングランド王を兼務するためStirling Castleを離れロンドンで国政を司ることになります。エリザベス1世に子がなく、ジェームズ6世の両親ともにイングランド王家の血筋を引いていたためです。エリザベス1世が判決を下して断頭台に送られたメアリー・スチュアートの息子が、彼女の後をついでイングランド王になるとは不思議な運命です。

ジェームズ6世はロンドンでの生活が気に入って、その後スコットランドへは1回しか戻っていません。ちなみに、ジェームズ6世はハノーファー朝の最初の王、ジョージ1世の祖父に当たります。

ジェームズ6世の後はヘンリー王子が継ぐはずでしたが、18歳でこの世を去り、1625年にジェームズ6世が亡くなると、次男のチャールズがチャールズ1世として即位しました。チャールズ1世はボニー・プリンス・チャーリーの曽祖父に当たる人です。

1633年にはチャールズ1世の戴冠式のため、Valentine Jenkinが壁面に、絵画による装飾を施しました。


The Great Hallとおなじく、軍隊が2階建てに改装、1階は食堂と訓練場に、2階は倉庫に使われ、その状態は20世紀初頭まで続きました。

1930年代に復元作業が始まり、2階の床が外され、チャールズ1世の頃の状態に戻ったのは1996年のことです。


Valentine Jenkinによる壁面装飾は残っており、窓にはだまし絵の手法が使われています。

チャールズ1世の戴冠後、時代は一気に清教徒革命スコットランド革命へと流れてゆきます。



Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ

 

2015年2月2日月曜日

Stirling Castle その7


The Lion's Denと呼ばれるThe Palaceの中庭です。ジェームズ5世は1537年にフランスからライオンを1頭贈られ、飼っていました。そのライオンがここで飼われていたという説がありますが、真実のほどは分かっていません。


The King's Old Building、ジェームズ4世が1496年に建てた王の住まいです。この建物が建つ以前から城の中心的な場所で、数回にわたって建て替えが行われたと考えられています。建物の北側(写真右手)はこの丘の最も高いところに位置しています。

The Palaceの完成後はさまざまな用途に使われ、1719年には士官用住居として使われ、1790年代にはより多くの兵士を収容するため、床や窓が追加されました。

1855年には建物の北側が火災を被り、一部建て替えも行われています。


The King's Old Buildingの北側の裏手の庭園です。The Douglas Gardenと呼ばれています。1452年2月21日、国王ジェームズ2世第8代ダグラス伯爵との話し合いが持たれました。父王ジェームズ1世が暗殺され、ジェームズ2世は6歳で王位を継ぎましたが、ダグラス伯爵一族に実権を握られ、ダグラス伯爵を憎んでいたようです。会食が始まると、王自らダグラス伯に手を下し、死体を家臣とともに窓から庭に投げたと言われています。伯爵の体には26もの刺し傷があったと言われています。

ダグラス伯爵家は挙兵、しかし国王軍の砲撃に敗退し、広大な領地は全て王の直轄領に編入され、王家の財産は大幅に増えました。が、そのジェームズ2世もイングランドとの戦闘中に自軍の大砲が爆発、命を落としています。

現在、The King's Old BuildingのThe Douglas Gardenに面した部屋は、この事件にちなんでThe Douglas Roomと呼ばれています。


The Douglas Gardenのさらに北西にあるNether Baileyと呼ばれる北の園庭です。城壁の向こうには美しい光景が広がっています。左に見えるのはタペストリーの工房です。



Stirling Castle
Stirling FK8 1EJ

 

2015年2月1日日曜日

Stirling Castle その6


The PalaceにあるThe King's Inner Hallです。美しい天井はThe Stirling Headsと呼ばれ、人物像をメダル状の縁取りで囲んだものが34個配列されています。その姿はジェームズ1世、ジェームズ4世、ジェームズ5世の最初の妻Madeleineなど王家の人々、聖書や神話の登場人物、ユリウス・カエサルのようなローマ人、道化師などの廷臣、ヘラクレスなどの英雄が選ばれ、王家の由緒や権威を示すものになっています。

The Palaceは実際に住まいとしても使われましたが、王家の財力を示すため、接客に使われました。もしジェームズ5世が数年長生きしたなら、彼はこの部屋で来客と接見したことでしょう。この建物が出来上がったとき、王座にはメアリー1世がいました。彼女は1548年までここに居ましたから、摂政である母親の補佐のもと、幼い女王がその席に着くことも、あったかもしれません。

1547年、イングランドの猛攻が始まり、危険を感じたMary of Guiseはメアリー1世をフランスに送りだします。1558年、メアリー1世はフランス国王アンリ2世の王太子フランソワと結婚、同年にアンリ2世が亡くなるとフランス女王を兼務することになりますが、その間もMary of Guiseは1回だけフランスを訪問しただけで、摂政としてStirling Castleでスコットランドを治めていました。イングランドの攻撃は続き、内政も不安定、経済的にも困窮、フランスからの援助もないまま、1560年にエジンバラ城の強化を行う中、彼女は亡くなりました。彼女の遺体は秘密裏にフランスに送られ、Fécampで行われた葬儀にはメアリー1世も参列しました。すでにフランソワ1世は亡くなって、彼女はフランス王妃ではありませんでした。

Mary of Guiseの死には、その様子から毒殺の疑いがかけられています。

翌1961年、メアリー1世はスコットランドに帰国。母親が担った難しい国策を継ぐことになります。 


The King's Inner Hallの天井に現在据えられているものは複製品で、オリジナルは1777年に持ち去られ、散逸していました。現在その多くが回収され、Stirling CastleのThe Stirling Heads Galleryで展示されていますが、もともといくつあったのか、その数さえ明らかでなく、少なくとも2つが火事で失われています。


現存するThe Stirling Headsは木地のままですが、塗装の痕跡が確認されており、彩色されていたことが分かっています。上の写真のように、複製品は木彫に白の下地を塗り、彩色を施してあります。



Stirling Castle
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